「もう、戻れないんだから」
リンが言う。
「もう、戻れないんだからね、あたしもあんたも」
リンが言う。
「一人になんかしたら許さない」
リンが、言う。
「死ぬ時は一緒に死のうね、レン」
押し付けられるリンの熱い体を必死で受け止めて頷いた。
息を吐きだすのと同時に口を開いたけど、オレを呑み込むリンの中が熱くて気持ちよくて言葉にならなかった。
その日は別々にレコーディングがあって、リンは出かけていたから先にオレが呼ばれた。 軽くストレッチをして息を吸い込む。 第一声からすごく調子が良くて腹から出る声がいつもより伸びた。 問題もなく自分の分を録り終えて、マスターと「リンは遅いですね」なんて話しているところに当の本人が飛び込んできた。 走って帰ってきたらしく、大きく肩で息をしていて、髪もぼさぼさでひどい格好。 しばらくその場で突っ立って息を整える。 あちこちに跳ねた髪を直してやろうと頭に手を伸ばすと強い力で払われた。 リンは何もなかったかのようにマスターの前に立ち 「遅れてすみません、マスター。今日は調子が悪いので休ませてください」 と言った。
マスターは微かに驚いた顔をして、それでもゆっくりと「構わないけど、大丈夫?」と返す。
リンはちっとも大丈夫そうじゃない顔をして「大丈夫です」と頷いてさっさと部屋を出て行った。
オレの前を横切るリンの髪がふわりと揺れて嗅ぎ慣れた香りが鼻先を掠める。
「ちょ、リン、待てよ!」
とっさに伸ばした手はリンの腕を掴んだけれど、キッとこちらを睨んだその顔に怯んだ隙に振り払われた。
すぐに顔を背けて走り去るリン。
だけど、オレは見てしまった。
一瞬だけ視線を絡ませた両目が濡れていた。
――リンが、泣いてる?
こんなこと初めてで、走り去るその背中と振り払われた自分の手を見比べて立ち尽くしてしまう。
「レン、ケンカ?」
心配そうなマスターの声に我に返る。
「すみません、オレ、ちょっと行ってきます」
ケンカなんてしてない、だけどオレはリンの不調に気が付かなかった。
いつも離れてたってわかるのに、リンのことなら何だってわかるのに。
リンの部屋に続く階段を駆け上りながら嫌な胸騒ぎを覚える。
足元からがらがらと崩れ落ちてしまいそうな感覚。
「リン?」
激しいぐらいの勢いでドアをノックする。
「リン?返事しろよ、いるんだろ?」
応えのない部屋のドアをそっと開きながらオレは場違いな恐怖感を抱く。
ヤバイ、マズイ。ぞわりと体中が総毛立った。
暗闇の中で爛々と光るリンの目が見える。
オレたちの中の何かが狂う、そんな予感がした。
(或いは、人はそれを恍惚と呼ぶのかもしれない)